AGM(数学, 柔道) の例?

先ずは、数学のお話から…因数分解の問と、その答えから。

AGM(数学、柔道)…

 

上にある数学の問題は、高校1年生で習う程度の問題になる。どの学校で数学を習っているのかで、問題を見て感じ方は、人さまざまだと思う。具体的な問題と、その答えは、上記のノートの中に全てあるから、『数学』に限定した興味関心を示した人は、メモの方を参照してほしい。

 

個人的に、不定期で、数学の問題や、将棋の詰将棋の問題を解いたりしている。特に、数学に関しては、

一応、専門家としての立場もあるから…それなりの感覚と技術はキープしておかなければならないのだけれども…

 

『それなりの感覚と技術のキープ(維持)』

 

は、現実として結構大変な事である。例えば、数学として問題が難しくなると…様々な要素が上がって来る。

上記のメモの中には、

 

『問題を解くまでにどのような思考をしたか?』

 

そのような観点で、必要なものを言語化した。今回の場合だと、以下の3要素が挙げられる。

 

『知識』、『技術』、『感覚』

 

 

問題が解ければ良い…のなら、『技術』と『感覚』だけで、実際に問題を解くことが出来るのだろう。しかし…それは、

 

『日頃から、繰り返しの練習(practice)をしていなければ』、…

 

おそらく、解くことは出来ないのだろう。

 

『日頃から、繰り返しの練習(practice)をしていなければ』、…

 

これを柔道で言うのなら繰り返しの『稽古』、『鍛錬』、という事になるのだろうか…

 

 

個人的に数学に於いて、その錆び付き方は、半端ないものになっている。個人的に武術系のyoutubeに嵌まっているのだが、

本当に、数学においては、もはや『闇』ばかりである。昨今の斯様な世の中である。いつ何時問わず、試されることがある。

その試されたときに

 

『再現』出来るのか? さらには『体現』出来るのか?

 

あるいは、このように『表現(描くことが)』出来るのか?

 

 

 

本当に、厳しい世の中になってしまったよな…と時折思う。M-1的な現象は至る所に出現している。いくつかの『言葉』が

出揃ったから、改めて自身の言葉として整理する。

 

自分の中に蓄えてきた

『知識』、『技術』、『感覚』、

それらを、

『対象』を見定め、『焦点』を見極め

『意識』を向けて

そして、

『再現』する。『体現』する。『表現(描くことを)』する。

 

(数学においても、柔道においても、だと僕は思う。)

『再現』者であることを。『体現』者であることを。

『表現』者であることを。

 

このコロナ禍に於いて、柔道に於いて、自身の技の錆び付きを如実に感じてはいた。理由はハッキリとしている。

 

『稽古』不足…『練習』不足…『鍛錬』不足…

(本当に情けないが…数学も柔道も『不足尽くし』である。)

 

 

今、少し前まで、柔道の稽古をしてきた。少し前に、その高校の柔道部の現役を引退したであろう、

高校3年生の子と立ち技の乱取りをした。その立ち技の乱取りにおいて、久々に、綺麗に巴投げで、相手を1回転させたが…

技としては、どうだったのだろう…ちなみに、この後も、続いた乱取りで、僕は、その高校3年生の子に火をつけてしまったのだろう。この巴投げで。その後続いた乱取りに於いて、かなり、ボコボコにされてしまった。

 

「(高校の柔道部での2年半で、培われた身体(フィジカル)は、

やっぱり相当なものがあるよな…)」

 

相手に、ボコボコにされながらも、相手の技を受けながら、感じていたことである。

明らかに、相手との身体(フィジカル)の差を感じた。

 

稽古の後に、その高校3年生の子と少しお話をした。

 

(前略)

僕:「さっきの立ち技の乱取りで、巴投げで投げたけれど…途中で飛んだ(自ら進んで受け身を取ること)…?」

高校3年生の子:「いや…完全に捉えられてしまいました…」

僕:「そうなんだ…じゃあ…その言葉を額面通り受け取ることにします。また、よろしくお願いいたします。」

高校3年生の子:「また、よろしくお願いいたします。」

 

確かに、技としての巴投げは、戻りつつあるのだろう。だが、技は、自身の培ってきた感覚と照らして、完璧ではなかった。

明らかに、何か所か甘いところを感じてはいた(特に技の後半…)。

 

本当に、この世界の残酷なものを僕は感じている。

技も感覚も…これらを獲得するのに、どれだけの時間を割いて稽古を積んできたのか…

そして…少なくとも苦労して獲得した柔道の技は、あっさりと、

その『不足尽くし』で、あっという間に錆び付いてしまった。

 

数学においても、柔道においても、

しばらくは、その身にこびり付いた『錆』を取ることに専念を僕はするのだろう。

幸いなことは、『感覚』と『知識』は、どうやら体の中に錆び付かずに残っているようだ。

 

そして…不幸なことは…僕がこのようなことをする代償なのだろうか…

相変わらずの『社会不適応者』であることを、改めて自覚しつつ…

 

takumaroは今日も往く!

 

追記(微妙な加筆修正、2023.07.18)

本当に、微妙な言葉の付けたしなのかもしれない。しかし…僕にとっては、かなり大事な要素だった。だから、付け足した。

 

 『再現』者でありたいと思う。『体現』者でありたいと思う。そして、

『表現(描くことをする)』者でありたいと思う。

 

それから、これらのプロセスの中で、重要な要素が抜け落ちていた。

 

『対象』を自身の中に於いて明確にして、さらに、

『焦点』を自身の中に於いて正確に捉えて、

そして、其処へ『意識』を向けて

以上の、3つの単語である。『対象』『焦点』『意識』

 

それぞれの言葉の意味するところは、僕の場合は、以下のような感じになる。

 

『対象』:大まかな枠組みの中で…僕の場合は、自身が歩んでいる『道』に於いてになる。

『焦点』:どこから景色を観ているのか?『道』の何処にいるのか?『道』から、どんな『景色』をみているのか?

『意識』:心(魂)を向ける。精神統一をする。集中する。

 

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