『自由!?』

2022.01.16~2022.02.10

 

その行動に、『制限』が掛けられていなければ、そして、その日の天気が晴れているならば、それから、時間的に『自由』であって、それから、しかるべきメディアを自分が保持していて、そして、その瞬間に立ち会えるのなら、以下のような写真はいつでも撮れる。

 

「(うん???ほとんど、こういう写真を撮る事は不可能だと言っているのか?僕は?)」

 

 

 

 

何気なく、言葉の意味を考える。たとえば…『自由』

だけれども…この『自由』…という言葉は、言葉だけ存在!?

 

『自由』:(意味)他から制限や束縛を受けず、自分の意思、感情に従って、行動する事。自分の意思、感情に従って行動出来る事。(新明解国語辞典、第6版より)

 

「他から制限や束縛を受けず…」

辞書を読みながら、もうこの冒頭の書き出しで、

「死語(言葉だけ存在)!?」

なんて感じてしまう。実際に…改めて…声に出す。

「他から制限や束縛を受けず…」

何秒間か我慢して考えては観る。でも…やはり、というか、必然的に

「(そんなことは)…無い!無い!!無い!!!」

と僕の心の声が駄々漏れになるのである。

 

人から(他人から)距離を置き、殆どの事が、その独りで出来るのならば、多少は、この言葉、『自由』という言葉の意味する処に近い現象は起きうるのかもしれない。

 

いや…それでも無理か…

 

法律、宗教、道徳、美学(その人個人の)、しきたり、習わし、慣習、風習、…

 

長い年月を掛けて、社会や世間が拵えた、途轍もない制限が其処にはまだある。

 

「待って待って…本当に『自由』…存在しないじゃん…」

 

と、再び、僕の心の声が駄々漏れになるのである。

 

それとも…束の間の…偶然起きたパラドックスの中で、『自由』という物と錯覚をする…

 

大空に向かって『コロナの馬鹿野郎!!!』と取り敢えず、叫ぶ。

 

個室での軟禁状態が続く。随分と時間が掛かっているようだ。僕の前の人は、あっという間にその軟禁状態が解かれて、医師からの説明を受けて、裏口から、病院の外へ出て行ったのに…

「(どのぐらい待つんだ?)」

こういう時に『携帯』は便利である。暇ではないのだが、良く解らない微妙な時間を過ごすのには…それにしても、明らかに長い。

「(もしかして、感染!?)」

そんな不安もよぎる。そんな僕の心理状況の中、医師が僕の前に、個室の扉を開けて、現れた。

「(やっとか…って…うん??)」

 

 

僕の前に現れた医師の恰好が、先程、たまたま眺めていた僕の前の人の時の応対したときのと、明らかに恰好が違う。ガチガチに防護服でその身を固めている。

「(ああ…)」

その若い医師は、何か色々と説明を僕にしていたのだと思う。もともと、僕は発熱をしていて、其処に来たのだから、それなりに、頭はフラフラなのだが、でも、この後の結論は、言われなくても解っていた。頭がフラフラでも解っていた。その医師がやっと、その事実を口から発する。

「結論から言うと『陽性』です。今回、抗原検査で、『陽性』になりました。」

まあ、結論は解ってはいたのだが、改めて言われると、お約束のように独り言が炸裂する。

「ええっつ~!!!本気(マジ)ですか!!!本気(マジ)か…」

そう言って、取り敢えず、放心状態になる。若い医師は放心状態の僕を見て、

「この後の事が在りますので、そのまま待機していてください。」

そう言って、個室の扉を閉めた。改めて、個室に軟禁状態になる。

 

 

『放心状態』

と言っても、そう長い時間ではない。個室の扉が閉められた、時の

『バタン!!!』

という音が、遠くで耳鳴りのように聞こえてきた瞬間から(…というか発熱で頭がクラクラしているからだけれども)、

「やば!やば!!やばっつ!!!」

と声に出して、そして、直ぐに僕は動く。

 

残念な事だが、この事実を関係各所に速やかに伝えないといけない。

「(3カ所か…)」

柔道関係者、新聞配達、コンビニ、…皮肉なのだが、こういう時の『携帯』は便利である。本当に、助かる。

 

 

「プルプル…プルプル…ガチャ…あっつ?今、大丈夫ですか?」

柔道関係者の1人、(僕の)師匠の1人に電話を掛ける。幸い出てくれた。

「ああ…どうしたん?」

「スイマセン…かかりつけの病院で検査を受けたら、陽性判定が出ました。…」

「えっつええ…本気(マジ)か…今何処なの?」

「病院の個室です。まだ、今、さっき結果を聴かされたばっかりです。」

「えっつ!?そうなの?…解った。こっちの方は、やっておく…」

「…スイマセン…」

 

 

僕と、関係性のある人達の、一つ目のカテゴリーが先ず、終了した。

 

 

「次は…」

携帯をいじりながら、携帯履歴から直ぐに現れた『コンビニ』に直ぐに連絡を入れる。

 

 

「プルプル…プルプル…ガチャ…ハイ!!!○○△△××店の□□です。」

電話越しに、頭の中で□□さんが、電話に出ているのが解った。

「□□さん、takumaroです。」

「ああ…takumaroさん?どうしたの?」

単刀直入…迷わず事実を伝える。

「今、病院から電話しています。コロナ陽性判定を受けました。」

「え~っつ!!!マジ…本当?…今何処なの?」

「まだ、病院です。個室の中です。検査の結果は、少し前に知りました。」

「う~ん~分かった!伝えておきます。」

「お願いいたします。」

 

 

僕と、関係性のある人達の、二つ目のカテゴリーがこれで終了した。

後は…

 

 

「プルプル…プルプル…ガチャ…ハイ!!!○○新聞店の△です。」

新聞店事務所の事務対応の人だと解る。直ぐに

「○○、さんか、××さん、か、□□さん、◎◎さん…いますか?」

とっさに、4人の名前を挙げる。こういう時に、限って…

「今、皆、配達に出てしまっているので、今、居ないのですが…」

「(なんと…マジかよ…)」

二度手間になるのは目に見えていたが、単刀直入に事実を事務の人に伝える。

「今、病院から電話しています。コロナ陽性判定を受けました。」

事務の人の、電話越しでも解る一瞬の沈黙が訪れる。そして…

「はっつ?」

と事務の人は聴き返したのだが、その直後にその大役から事務の人は解放された。

「あっつ!!!今、◎◎さんが、戻って来たから、直ぐに代わります。」

そして、電話越しに◎◎さんの声が聞こえて来た。

「ああ…takumaro君…どうしたん?」

「◎◎さん、今、病院から電話しています。コロナ陽性判定を受けました。」

「えっつ!?マジで?」

「マジです。」

「今何処なの?」

「まだ、病院です。結果を聴いたばかりで、陽性判定を受けたので、慌てて色々な処に電話を掛けている状況です。」

「ああ…そうなんだ…」

(以下略)

 

 

(以下略)としているのは、この時に、もう既に、この◎◎さんから結構、色々と聞かれた。とにかく、斯様な感じで、僕と関係性のある人達への連絡を早急にした。

 

 ご覧の通り、僕のような人間ですら、他人とそれなりの関係性を保持してしまう。中々…

『人から(他人から)距離を置き、殆どの事が、その独りで出来るのならば、…』

というような状況には成りようがない。

 

しかも…今回、今まさに流行りの『コロナ』に僕自身が感染してしまった事も在る。

そんなこんなで、僕の自宅療養生活が始まる。

 

1日目、2日目は、電話越しでの保健所からの聞き取り、保健所との基本的な確認(濃厚接触者などの)、保健所からの聞き取り、保健所との確認した内容を、関係各所への改めての連絡。これらを発熱状態で速やかにこなす。

 

 

「本当に、便利な世の中になった?」

 

 

こんな僕でも、『携帯』がある。『パソコン』がある。そのようなメディアを通じて連絡を取り合う事が出来る。情報を入力する事が出来る。

 

 

「変な世界だ…誰とも直接会っていない…僕は『自宅療養』ならぬ『自宅軟禁』状態なのに」

 

 

実に極めて、変な状態である。普段よりも、強固な僕と社会の関係性が一時的に出現する。

にも拘らず、実質は誰とも会わず、会話もせず、勿論、外出も出来ず、事実上の

『軟禁状態』

なのに。

 

このような状況だったから?偶然、『友人』からのラインに気付く。

本当に『偶然』である。僕の事を知っている人ならば、皆頷く。これは『奇跡』に近い。

僕のライン音痴は筋金入りである。

 

「最近どう?元気?」

「ついに…コロナに捕まった…」

この、『ついに…コロナに捕まった…』の返信に、直ちに直電が来た。

よく考えて観ると、不思議な景色である。ラインのやり取りをしている最中になのだから。

直ぐに電話に出る。

「…本気(マジ)で?」

「うん…本気(マジ)で…ついに捕まった…」

「体調はどうなの?大丈夫なの?」

「体調はどうなのかな…10年位前のインフルエンザの時の方が辛かったかな…」

「そうなんだ…ああ!!!外出も出来ないんだろ…」

「そうなんだよ!!!」

 

『そうなんだよ!!!』…意外と、誰かと接触している訳でもなく、ただ、外へ散歩で、ドライブで、僕は度々独りでフラフラしている。それすらも『厳禁状態』なのだから、このストレス状態が発した言葉、その言葉のトーンにも僕のストレスが現れてしまった。

 

「なんか…必要な物あるか…?」

「○△□が呑みたい!!!(戒律違反に相当する内容)」

「はっつ?」

「全日本も無くなったから…既に『破戒活動』はしてしまっているのだけれども…」

「…」

(読者注:破壊ではない。『破戒』である。全日本とは、全日本柔道『形』競技大会の事)

 

しばらくの間、その友人は黙っていた。そして、しばらくの後に笑いながら言われた。

「お前さんには、コロナもなんも関係ないな…本当に相変わらずだな…」

「…そうなのか?」

「相変わらずだよ…まさしく『天然記念物』だよ!!!リアルな!!!」

「…そうか…」

 

今度は、僕がしばらくの間、黙った。

「(相変わらずなのかな…)」

僕の昔(かつて)と比べたら、随分と円く成ってしまったようにも僕は思っているのだが。

 

「解った。適当にこっちで、買って持って行くよ!」

「いや…会って会話も出来ない…家族も濃厚接触者になるから…」

「いやいや…玄関前に置いて俺は直ぐに帰るから。」

 

様々な関係性の中で、この『友人』というのも、また『特殊』である。そして、有り難い物でもある。友人との電話での会話が一区切りしてから、改めて布団に包まり横になる。一応、僕はコロナ感染者、現在発熱中なのだから。

 

いつの間にか寝落ちしていたのか…目が覚める。現実には、その数十秒前に鳴った携帯に僕が反応をしたのだろう。携帯を見たら、友人からの着信が入っていた。直ぐに折り返す。

 

「…寝ていたか?」

「うん…寝ていた…もしかして…もう玄関前?」

「いや…もう帰宅している。玄関前に置いといたから…」

「ありがとね…色々…」

「『ありがとね』その言葉は、箱の中身を確認してからだ…」

「うん…!?うん…うん…」

「それじゃな!!!この機会にゆっくりと休め!」

「うん…」

 

携帯で自宅の電話を鳴らす。

自宅の電話には、親父が出た。

 

「は~い~!!!コロナが下に降りるよ~!!!」

「解った!!!ガチャ…ツーツーツー」

 

陽性判定が出る前から、既に37度越えの発熱の段階で、家族とは家庭内別居生活。

 

「今、発熱しているから(37.2℃)、俺に近づくな!!!」

 

そして、その後のコロナ陽性判定の後には、少しでも接触の可能性がある場合は、

ご覧の通りの事前電話通知。

2階の自室から、降りて、玄関の扉を開けて、玄関前の荷物を確認する。

思わず、声にも出た。

 

「おいおい…こんなに…」

友人は本当に色々な物を買って来てくれた。スナック、ドリンク剤、消毒用ペーパータオル、ティッシュペーパー、菓子パン、カップ麺、…そして…大量の…

『○△□(具体的な商品名の記載は避けます。)』

僕の破戒活動は、自宅療養期間中、定期的に、かつ、定量的に、継続する事となった。

 

人(他人)との様々な関係性は、誰もが保持しているのだろう。

おそらく、このような関係性が無いという人はいない。

 

では、人(他人)との様々な関係性の中で、どれだけ『個人』というものを、

どれだけ『自由』というものを、その関係性の中で認め合っているのか…?

このような観点に於いても、改めて『友人』という関係性は『特殊』である。

そして、有り難い物でもある。

 

例えば…『人』として尊重することはしても、『個人』としての『存在』を認めない社会。

まあ…そのような社会は、『個人』もいなくなり、そして『人』もないくなり、

いずれ滅ぶ。まあ…現在進行形の日本の姿か…

 

それから、改めて『自由』の意味を再確認する。

 

『自由』:(意味)他から制限や束縛を受けず、自分の意思、感情に従って、行動する事。自分の意思、感情に従って行動出来る事。

 

辞書では、さらにこう続く。

 

『民主主義社会では、社会秩序を乱さぬ限り、その人の主体的な意志、判断に基づく言動の認められている事。』

(同じく新明解国語辞典、第6版より)

 

「うん…やはり『自由』は、

この国に於いては死語(意味だけが存在し実体は存在しない)だ。」

解らない人のために言うと、このような物言いですら、社会秩序を乱す行為と見なされる。

 

 まあ、どうなのだろう…

先ず僕のような人間(為政者達が社会秩序を乱す者として考えている)は

感染症対策と同じように先ずは

『(社会からの)隔離』

をされる。良くも悪くも理解に苦しむ『システム』の『そのような挙動』は

度々目にはしているのだが。

 

まあ、今回の『隔離』は

とにかく僕が流行りのコロナウイルスに感染したからだけれども。

『自宅療養』ならぬ『自宅軟禁』状態も、この1月27日(木)に解除はされた。

 

発熱は、1月16日(日)、陽性判定は1月18日(火)、1月16日(日)から起算して10日間の、1月26日(水)までの『自宅療養(自宅隔離)』、解熱剤等を用いずに、その数日間の発熱状態なども既になく、それらの僕からの報告状況を保健所の方での判断に依り、1月27日(木)に僕の『自宅療養』は解除となった。

 

『自由!?』…気が向けば、独りで直ぐに散歩やドライブへフラフラと出かける僕からすると、一切の外出禁止は本当にキツカッタ。この『厳禁状態』から解放されただけでも、随分と『自由』と思えるものを感じてはいる。『厳禁状態』と言ったって、保健所の指示と、所謂コロナウイルスという物に対する『個人の感性』でそう対応しただけだ。また、一方で、

『厳禁状態』では、あったのだけれども、物凄い『自由』は感じていた。僕のような立場の人間は、1週間以上『労働』から解放される事など、先ず在りえない。10年前の『失職』以来である。基本的に、10年前より

『拒職症(拒食症ではない。字に注意)』

なのもあるが。

 

そもそも『労働』とは、搾取する者達のために働く事。

という風にしか僕には思えてならない。まあ…様々な形で人から搾取するシステムは至る所に存在する。1番解り易いのは…

以下は、あるお笑い芸人のネタである。

 

「そもそも何で生まれて来たのか、何のために生まれて来たのか知っているの?」

「え?何で?何のために?じゃあお前言ってみろよ!!!」

「『納税』のためだよ!」

「お前、感じが悪いわ!!!」

 

搾取するというシステムの1つとしての『納税』が、例えばある。そして、『納税』というシステムに依り、巻き上げられたお金に依って潤っている『公務員』という、搾取する者達がいる。まあ…彼らは『搾取している』という認識はしてはいないし、そして、また、

本当の意味でのお金を稼ぐための辛さを理解する事など、永遠に出来はしないのだろう。

勿論、全ての公務員を否定したりはしない。中には、公務員という存在とその成り立ちを理解し、その上で憲法上に明記してある内容も理解の上で、実践している人も中にはいる。

 

憲法15条②

「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

 

 

まあ…様々な形で人から搾取するシステムは至る所に存在する。『納税』というシステム、

『公務員』という存在だけではない。

 

それに、そうだと解っていても『労働』せざるを得ないのだろう。

お金が必要なのだから。

こんな僕でもそうだ。

何をやるにしても、何かを始めるにしても、そもそも、食べるだけでも。

 

 

搾取するシステム:『納税』、『労働』、

束縛をするシステム:『法律』、『宗教』、『道徳』、『美学(その人個人の)』、

『しきたり』、『習わし』、『慣習』、『風習』、…

 

 

長い年月を掛けて、社会や世間が拵えた、途轍もない数々の制限、数々の束縛

それから、何をやるにしても、何かを始めるにしても、食べて行くだけでも、

『お金が掛かる!!!』

という現実。つまり、いずれにしても(僕の)現実の問題として、

『お金が必要』

そもそも、高額の借金があることもある。

だから、『お金を『稼ぐ』ために』

僕は『僕の時間』を伐り出している。

 

『自由!?』

 

だからなのか…あるときから、時折、僕がお金を使う時に、

『僕の中の物凄い厳しいお金を使う判断基準』

に於いての

『費用 対 効果』

を考えるようになった。

 

自由という観点(言葉の意味も含めて)に対して、

お金という観点に対して、

社会と僕という観点に対して、

そして、『個人の時間』という観点に対して、僕なりの、僕自身のコロナ感染に依る

『費用 対 効果』

を今回は考えてみた。このような考察が出来たのも、コロナ感染によるという皮肉もある。

ちなみに、普段、アルバイトで合わせて19.5万(前後)稼いでいた僕が、

今回のコロナ感染に依り、正確な数字はまだ確定していないが、だいたい…

このコロナ感染に依って、その月の給与は

『-6.5万円』

という収入減になる。そして、僕個人も、『拒職症』という症状の1つで、

『個人の時間』

の確保に動き出したのもあるので、今後も継続的に

『-3万円』

という収入減になる。

 

まあ、費用対効果を考えて、僕個人の色々な事の見直しが出来たとしても

 

 

大空に向かって『コロナの馬鹿野郎!!!』と取り敢えず、叫ぶ。

 

 

というような事は、『儀式!?』として、僕は何度かしておいた。というのも、

僕が居ない処で、僕が知らない処で、僕のコロナ感染に関して、

どうも色々な事があったらしい。

 

読者注:『『3万円』という収入になる。マイナス×マイナスで+じゃん。

3万円の収入増じゃん。などと解釈しないように。素直に、

「ああ…takumaroさんは、3万円の収入減になる。んだ…」

と好意的に解釈するように。個人的に『-6.5万円』

数学的強調的な表現を僕がしたかっただけの話です。』

 

ご覧の通りの偏屈な人間の元に、ある人からの連絡(ラインが来た。)が来た。

 

『費用』対『効果』、『時間軸』を無視した世界の果てで…

 

 

その人から、ライン越しに

僕のコロナ感染に纏わる近況を聞かれた。その人は心配をしていた。

なので、簡単に、以下のようなラインを送った。(2月2日の話である。)

その人は、柔道関係者の1人になる。

 

その人から、こんなラインが先ず来た。


 

こんばんは。

ご無沙汰しております。

その後、takumaro先生やご家族の体調はいかがでしょうか?

 


 

このラインに、『簡単に!?』僕は、以下のように返した。


takumaroです。

 

○×先生へ、以下、今日2月2日までのtakumaroの近況です。

 

 

1月26日(水)、Her-Sis(厚生省が管理しているコロナ感染者が体調などを報告するクラウドシステム)の

takumaroからの報告状況を受け、Her-Sisの方(管理者)より、自宅療養の解除OK。

「1月27日(木)より職場に戻って良い!」の許可を受けて、

 

1月27日(木)より、新聞配達業務に復帰。

(コンビニは、お店の方針に依り、2月3日(木)より復帰の予定。)

 

1月29日(土)の体温:36.4℃。

 

2月02日(水)の体温:36.2℃

 

熱はご覧の通り無いのですが、完全に戻るには、もう少しかかる模様です。

とどのつまりは、まだ、少し自覚症状があります(気のせいのレベルかも…)。

今回の身体の負担の感想としては、10年前のインフルエンザの時が辛かったです。

 

 

 

コロナ感染と加えて、先生も既にご存知かもしれませんが、

全日本形競技大会も中止となってしまったために、おまけに、マスターズも中止になり、

去年から続けていた禁酒を解除して(戒律違反)、

○○○○クラブの稽古始めの大人会員各位に配られた『○△□』をチビチビやりつつ、療養しておりました。

 

家族2名(親父と妹)は、最初の発熱を確認した段階で(コロナ陽性判定が出る前に)、

「俺に近づいちゃダメ!!!」

というような感じで、直ぐに自宅内隔離体制をとっていました。

濃厚接触者ではありましたが、2人とも

隔離期間中、発熱も無く、扁桃腺が腫れているような痛みと言った自覚症状も出る事無く、無事に過ごし切りました。

 

 

個人的には、所謂世間の流行には乗らない!!!というのを心情にしているのですが、中々おもうようには行かないのが、

世の中の常であるようでございます。

 

『流行に 乗って堪るか!!! 頑なに… 辿り着いたが コロナウイルス』

 

 

気を付けようがないのかもしれませんが、皆様方も引き続き感染対策をしつつ、

◎◎◎予選に向けての稽古、そして身心のご準備を!!!

 

色々な関連機関との兼ね合いもあり、当方の稽古復帰は、しばらく先になる模様です。

 

 

以上、近況報告まで。


 

 

今読み返してみても、僕も改めて感じてしまう。

 

『流行に 乗って堪るか!!! 頑なに… 辿り着いたが コロナウイルス』

 

どうも、時として、『僕という灰汁』が何かの機会に噴出してしまう。

その後、僕は、いつものように、ライン音痴となっていた。其処に、

その人からのライン返信があった。

 

 


 

こんばんは。

takumaro先生、近況のご報告を下さって、ありがとうございます。

 

先生が、ご無事に回復されて安心しました。

また、ご家族への影響も心配しておりましたが、早めの対応で家庭内感染を防げたことに、胸をなで下ろしております。

 

続々と柔道の大会中止の続報が流れる中で、

北京冬季オリンピックの開催、複雑なものを感じます。

 

コロナが流行る前の、風が流行ってるね、気を付けようね、位の世の中に戻れないのか、

と個人的な考えがあります。

仕事柄、誰にでも言える台詞ではありませんが、

コロナになるよりも行動制限を恐れてしまう、

今日このごろです。インフルエンザの方がもっと辛いし怖いですよね~

 

稽古したことは無駄にならないと、いつも実感しております。

柔道だけではなく、何事にも通ずる事だと思います。

 

置かれている立場もあり、個々に考えも異なりますが、形を変えながらでも目標に向かって、足を止めずに頑張ります。

 


 

 

ライン音痴の僕が、このラインを見たのは、そのラインが送られてから、1週間後だった。

その人の言葉に、僕が、僕の個性が反応してしまった。という事なのだろう。

以下、今回の記事の締め括りは、僕がその人に送ったラインを紹介する。

 

僕はご覧の通りの偏屈な人間である。そして、

時として、『僕という灰汁』が何かの機会に一気に噴出さしてしまう。

という僕である。其処に、今回の僕のコロナ感染もある。そして、また、

これまでに、意識し体得して来た物が…僕の『個性(個人)』と折り重なるようにして

また、このような

『言動(言葉+行動)』

を繰り返していくのだろう。

 

『哲学』、『美学』、『宗教』、『道徳』、『倫理』…?

 

「違うか…これらを使って、必死になって僕は、僕のブレーキを掛けているのであって…」

 

そう、数々の言動の本質は

 

『怒り』、『怨念』

 

である。『僕はご覧の通りの偏屈な人間である。』とは、

描いたが、そもそも、まともではないのだ。

 

『天然記念物』、『犯罪者予備軍』、『非国民』、『社会不適応者』、『拒職症』、…

『偏屈な人間』、

 

もう止めておこう。僕の僕自身の客観的な表現は多分幾らでも与える事が出来るのだから。

 

古くからの友人に依る『天然記念物確定!!!』

この友人は、本当に僕にとって得難い物でもある。僕の事を理解し、ときに共感し

ときにちゃんと、ご覧のように『天然記念物確定!!!』と僕に対して指摘も出来る。

この友人とは中学時代からの付き合いだが、確かに、この時代を一緒に駆け抜けて来た。

そう…この友人ぐらいなのかもしれない。

 

この記事を読み、理解をし、頷き共感し、そして、大笑いをするのは…

 

ここまでの現実を観て来て

理解される事を求めても、期待してもいけないのだろう。

共感する事など、ましてや、共にこの時代を駆け抜けようなどと…

そういう僕の個人的な幻想は、100年後の未来の話なのだろう。

 

コンビニのバイトを通じての知り合いがこのブログを観てくれているのだが…

改めて、その彼に

『takumaroさんストレスマックスですよね…(つい先日、僕は実際に言われた。)』

と言われるのかな?

『そうなんだよ!!!(『怒り』+『怨念』)』

と、この場で返しておこう。

 

柔道関係者に数々居る、○×先生も含めた僕の師匠筋の人達…

『こういう物(こういう記事)』

を読んだときの、○×先生たちの苦笑い交じりの顔が観えはしているのだが…

どうしても止めようがない。

改めて、僕は今後もこのような

 

『言動(言葉+行動)』

 

を繰り返していくのだろう。

 

 

大夫前だが…

横山大観の『屈原』…

人の極限の怒りと哀しみを表現した作品…

購入した、美術系の雑誌越しにこの作品を観ていたら、

『あいつ』

に僕はこう謂われた(言われた)。

 

「ただでさえ、お前は(僕のこと)偏っているんだから、バランスよく、バランス感覚を改めて養う意味でもさ、『喜』『怒』『哀』『楽』を満遍なく表現している顔を人(他人)に魅せるように心掛けたら…」

 

「(言い得て妙なのだが、なんか、無茶振りも過ぎる様な…)」

 

そういう気もして、『あいつ』に言われてからしばらくして、僕は苦笑いを『あいつ』に見せた。

でも…まあ…『言い得て妙な処もある』と僕は感じてしまったので、

僕が心掛けていることの1つでもあります。

 

今後も、こんな感じなのかな…

では…

僕がどんな『言動』を○×先生にしたのかを以下に…

 

takumaroは今日も往く!

 


 

 

takumaroより

 

 

『稽古したことは無駄にならないと、いつも実感しております。柔道だけではなく、何事にも通ずる事だと思います。』

 

私も、確かにその通りだと感じております。

 

確かに、確実に積み上がっていく物が在る。そのように常々感じております。稽古、勉強、修行、広義では、この3つの

 

単語は、同じような意味で『勉強する』という風に解釈が可能ですが、ニュアンスは微妙に異なります。

 

 

僕の場合は、稽古と修行はしてきましたが、勉強はしてきませんでした。いや、本当に勉強は大嫌いです。

 

しかし、そう言うわけにも行かず、何となく意味と意義も解って来たのもあるので、

 

稽古、勉強、修行、

 

をバランスよくするように心掛けている日々ではあります。ちなみに

 

『勉強する』とは…

 

学んで行く渦中で、学んで吸収したものを、体得したものを用いて、如何に『自分という個』の位置取り、間合いを

 

個の総体である、組織、社会、世間、国家、…の中で、定めて行くか…

 

以上が、『勉強する』という、形容動詞の意味なのかな…と…ご覧の通りの『必須科目』ですが、未だに『勉強』は嫌いです。

 

稽古、と、修行、の単語の意味は、また別の機会に…

 

すでに話が、長いようではありますが、もう少し続けます。

 

個人が、その目的(想い、願い、誓願、祈り、…)をもって、

 

継続的に、稽古をする、勉強する、修行をする。

 

これらの行為の総体が(行の総体が)、

 

『道』なんだな…と最近になって、実感するに至りました。

 

しかし…たまに…と言うか…必然的に

 

組織、社会、世間、国家、…などと、僕個人が接続し、それらの様が、

 

本当に軽蔑な対象にしか見えないさま、

 

微塵の尊敬も感じられない様につけ、何かと、どうしても個人的には

 

直ぐに腹を立ててしまっています。これを、一般的には『短気』と呼ぶようではあります。

 

そして、以上が、僕が勉強が嫌いな理由です。

 

『このコロナ禍で、五輪を開催するんかい!!!(東京五輪も含みます)』

 

そして、その一方で

 

延期、その果てに中止となった全日本…さらには、マスターズも中止…

 

『こっちは、中止なんかい!!!』

 

其処に、あからさまに、新自由主義の果ての金権主義者達の横暴、

 

経済至上主義者達の横暴を感じております。

 

本当に、何をやるにしても、直ぐにお金が掛かる世の中ではあるよな…

 

本当に、いつの間にか、お金が掛かるように仕組まれているような…

 

本当に、いつの間にか、お金(甘い汁で)で取り込まれて行くような…

 

時折、そのように感じ、

 

『これらをフットワークで躱すような身のこなし』

 

も僕にとっての必須科目なのだと感じています。

 

 

 

 

『置かれている立場もあり、個々に考えも異なりますが、形を変えながらでも目標に向かって、足を止めずに頑張ります。』

 

この文言を確認し、改めて、○×先生も『○×先生の道』を歩まれているんだな…と私なりに実感しております。

 

さて、先程、『勉強(する)』という言葉の説明をいたしましたが、後、もう1つだけ。

 

『道場』:

 

(意味)それぞれが、それぞれの『道』を歩む中で、その道を歩む者同士が、交錯する『場』所。

 

(補足)『それぞれがそれぞれの『道』を歩む中で』、と表現しましたが、道を歩む人など殆どいない…そもそも…

 

『道に辿り着く』のも稀…というのが、私の実感です。

 

 

今年、柔道の四段に昇段を果たす目的もあります。

 

また、勝手ながら×曜日に□□『道』『場』の方で、

 

○×先生のお世話になろうかと勝手に思い描いています。

 

…と言っても、今のところ、先程、述べた『勉強する』という観点に於いて、

 

私takumaroの道場での稽古の再開はもう少し先になりそうです(かなり先なのかも…)。

 

私の道場での稽古が再開したときには(稽古の再開が可能となったときには)、

 

またよろしくお願いいたします。

 

また、ご覧の通りの、極めて強い灰汁(あく)のある

 

『takumaro』

 

ではありますが、このような

 

『takumaro』

 

への今後も変わる事のない、ご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

 

 

(追記)

 

 

1、自宅療養期間中も込めた、インターネットの使用状況により

 

(自宅療養期間中、自室でユーチューブばかり観ていました。)、

 

使用権限の上限(64GB)にまで達してしまった事も在り、

 

この4日間は、インターネットへの接続は一切できずにおりました。

 

結果としては、いつもと変わりませんが、今回は、本当にインターネットに接続できない状態になっておりました。

 

 

 

2、朝、コンビニのバイトが終わって帰宅し、9:30頃に、

 

そして、一度寝てから、起きた、これらの文章の描く『直前』にも

 

家族(親父+妹)との口論に依るvsバトルになっておりました。

 

物に当たるわけにも行かず、頭を冷やすために、

 

今日から権限が復活した(月変りに依り)事も在り、ネットに繋いでラインの確認をし、

 

その最中に○×さん(先生)からの、

 

ラインを見て、色々な形で溜まりに堪った物

 

(稽古、修行、勉強、そして、今日の家族との口論(バトル))が、

 

こうした文章(記事)という形になってしまいました。

 

○×さん(先生)という客観的な視点から観ても、

 

心理学上の『昇華』という、心の働きになっていれば幸いです。

 

でも、まだ、『takumaroの頭』は冷え切れていないので、

 

この後、独りでドライブに行く予定です。

 

 

 

3、こうした記事を描くという行は、takumaroの中では程よく、

 

稽古、修行、勉強、の3つが同時に行える行の1つと考えています。

 

また、物を描くことを通じて、既に、

 

新自由主義という怪物との小競り合いが個人的には始まっております。

 

私が、新自由主義という怪物に飲み込まれるか、それとも、

 

私が、新自由主義という怪物をも凌駕する存在となるか、

 

今しばらくご静観ください。

 

 

(ご覧の通り…まだ、頭は冷え切らないようであります。)

 

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