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近況報告!?(2019.12.27~2020.02.03)

 

今回の記事は、20年振りに再会した友人たちにのために、

取り急ぎ、2019年12月27日(金)に簡単に書き下ろした。

この日に再会した友人たちのために

その後は、僕個人が納得できる記事として、加筆修正をした。今回の記事の経緯を説明すると

再会するであろう友人たちのために、先ず書き下ろし(過去:2019.12.27)

再会した友人たちのために、加筆修正を繰り返し(現在:2019.12.27~2020.02.03)

再会するであろう友人たちのために此処に遺して置く(未来:2020.02.03~)

多分、取り敢えずの、一通りの

『(僕の)近況報告』

は描けたと思う。2020年2月3日(月)に。

 

今日の日の記憶(2019.12.27)、空気が澄んでいて、良く富士山が見えた…

 

稀に、天気のいい日が、確かに在る。

「…今日は、天気が良いよな…空気も澄んでいる…」

実際の、景色も、天候と、その時の空気に左右される。そういった、『景色』ですら、見えない事が多い。

そもそも、昨今は、見えない事というよりは、『見せない事』の方が多いし、そのような事を国も推奨している。

この時の、人々の作り出す空気という物は、まあ、実際に創り出しているのは、為政者達だが、その空気は

光化学スモックよりも、酷いありさまである。

『この時の…』

と描き出したのは、今は、

『悪夢を見ている…』

という、期待をしているからである。為政者が創り出す空気は、過去も酷かったが、今は、もっと酷い。

未来の事は、僕にも解らない。もっとも…

立場が違えば、見える景色も違うようである。そう言えば、その人も

『悪夢の…』

という言葉を用いていた。

 

実際の天気の話に戻ろう。この日の天気は、本当に

「良い天気の中の、良い天気!」

のように感じた。昼間の情報番組『ゴゴスマ』

にて、確か、スカイツリーのカメラから東京湾アクアラインが、はっきりと確認出来る事を紹介していた。

見ていた、テレビ番組で、たまたま、そんな情報を入手した。直ぐに、玄関から、外に出て、

その瞬間の観える空と、感じる事の出来る空気を、身体で確認する。確かに

「良い天気の中の、良い天気!」

理屈ではなく、身体がそう感じていた。なので…

 

「少し、ドライブするか…」

ドライブをし、この日の外の流れる景色を堪能しながら、いつもの独り言が出て来る。

「ああ…そうそう…そうか…」

この街の展望台みたいな処へ行き、この日の記憶を記録に遺す。

それが、この富士山の写真になる。この写真の景色を、現実に体感しながら

「20年振りに…会う友達に…『何を』語るのだろう…」

最近は、どうも…独り言が得意技になりつつあるようだ。いや、待て!

『得意技』か?『習慣』か?『個性』か?、それとも、『(立ちの悪い)癖』か?

どうも…こうして、『表現』をしていると、このように、ハマる事が多い。

 

知らない人、解っていない人が多いが、記憶を記録に遺す行為は、物凄く身体に負荷が掛かる。

(僕の場合は、作業中は、夢中になっていて、後から身体に負荷が来る。)

知らない人、解っていない人が多いので、記憶を記録に遺す行為は、『公益及び公の秩序に反する行為』

と見なされる事が多い。

(僕の場合は、解っている。この国に、『表現の自由』が無い事も。

知らない人、解っていない人が多いから、その空気は光化学スモックよりも、酷いあり様になる。

(僕の場合は、この空気に馴染めない。あなたは、この空気に馴染めるの?)

知らない人、解っていない人が多いからね…

(僕の場合は、知って驚いてしまった。『日本国憲法改正草案』

 

あくまでも、僕『個人』の近況報告であり、また、当然、其処には『自由』も在るはずだが…

生きて往くと、色々感じる事がある。取り敢えず、今回のお話を先に進めよう。

(多分…知っている人、解っている人は、この『部分』を見て、大爆笑をしている。)

 

これから…20年振りに…大学時代の友達たちと会う。…説明責任のために…

 

写真:所属道場の枠を超えた人達の集まり

 

補足:この写真も、この国の文化から鑑みると、本当に『所属道場の枠を超えた人達が集まって』

という意味に於いて、不思議な空間の一例であり、また、そういう意味において奇跡の1枚でもある。

今、不思議な空間の中で生きていて、どんな事をしているかというと…

 

 写真や動画は、言葉で説明をするよりも手っ取り早い事もある。もっとも、写真や動画でも伝わらない世界がある。

多分、誰もが、何らかの組織に…所属をしている。住んでいる町、県、国、町民であり、県民であり、国民になる。

「僕は町民(市民)なのかもしれない…僕は県民なのかもしれない…でも、僕が非国民なのは確かか…」

僕が『非国民』なのは、僕が言う『非国民』という言葉の意味は解ると思う。

不思議な空間という一例である。不思議な空間と言えば、本来は

『罪刑法定主義』

だとは、思うが、昨今は、『罪』も『刑』も法律には依らないらしい。例えば…在って無きに等しいが、

『公職選挙法』

世の中では非常に恐ろしい発言が繰り返されている。

『現在、『捜査中』に依り、捜査に支障をきたすことからコメントは差し控えさせていただきます。』

 しかも、メディアが言っている指摘している内容から考えると…自身が公職選挙法に触れる違法な行為をしていたかは、

実に単純明快なはずなのだが、それすらも、判断できないのなら、そもそも、直ちに議員辞職すべきだろう。

基本的な思考が出来ないのだから。問題は、其処ではなく、繰り返すが

『現在、『捜査中』に依り、捜査に支障をきたすことからコメントは差し控えさせていただきます。』

何度も聞かされる度に、僕はゾッとする。解らない人のために、僕が言おう。

『アベノハラスメント』

の一部になる。

『我が国では、その行為が犯罪か、どうか、違法な行為か、どうかは、全て私の判断で決めております。』

(ある人の口調で、その人の立ち居振る舞いを踏まえて、ある人の代わりに、僕が此処に記した。)

このぐらいに、しておこう。僕が、どんな事をしているのかは、その一部はこれで解ると思う。僕は

『表現の自由』

を行使しているだけなのだが…

 

『表現の自由』…

 

「『表現』するとは…どういう事?」

「『自由』とは…どういう事?」

まあ、僕の…『癖』がキッカケで、色々と勉強をし直す事をした。まあ…限定された処での意味を僕は理解はした。

でも、それは、僕個人の疑問の解答にはなっていない。

手法と媒体、そして、遺される物

写真も使います。動画も使います。文章で説明もします。詩で、音楽で、

例えば…詩で表現すると

 

『魂心の 言霊求め 今日も往く 三千世界 住処無くとも』

 

ここまでの歩みを振り返り、改めて感じた事と、その覚悟である。

僕自身が何処かに所属する事になるのか…

僕自身が何処かに居場所を見つける事になるのか…

…ここまでを鑑みると絶望的であるのは確かである。そして、また、培われてしまった精神を満足させるだけの

『表現の自由を体現する事』

が出来るのか…往ける処まで往くしかない。時間が許す限り。

個人的な、素朴な疑問が起こる…

『『個人』と『自由』というものは、存在するのか…?』

僕個人のライフワークは、

『僕『個人』が、『自由』に『表現』をし続ける!』

という事。

よく、他人から

「『何を』なさっているのですか?」

と尋ねられる事が多い。このページの存在を知っている人なら、改めて僕からの説明は不要だとは思うが。

 

「先生『何を』なさっているのですか?」

「…アルバイト(朝刊配達)しかしていません…」

「…昔は先生(数学の学校教師)をしていたんですけれどね…」

「…先生…勿体無いですよ…」

僕は、大人ではないので、正直に以下のように顔で表現をしてしまう。

「(…僕に言われてもね…まあ…僕の『個性』にも問題があるしね…)」

 

このような形で会話が途切れる事は、多々ある。ご覧の通り、『何か』をしてはいる。しかし、この『何か』を

説明するのも、正直、たまに、めんどくさいと感じる事もある。そういう意味では、今回は、ちゃんと説明はしている。

僕なりに、『説明責任』を意識しているからなのだけれど。まあ…

流行りでない事を、あなたは、やらない事を僕は勧める。

 

動画(形の演武)

 

上記に挙げた動画は、柔道の形の演武大会に観戦に来てくれたHパパが撮影をして記録してくれたものである。

(20年振りに会う、友人のために、アップをした。)

昨今は、記憶にない。記録が無い。文書も適切に破棄しました…など、記憶、記録を残さない事が

流行りであり、また、そのような事を国も推奨しているが…

ただ…このような形(動画)で他人に見せると、確かに僕が今何をしているか…直ぐに理解してもらえる。

ただ…残念ながらこのような形(動画)でも、他人には伝わらない物がある事も、僕は気付いたのだが。

まもなく、友人たちに会うために準備もあるから…取り敢えず

(友人たちと、この時(2019.12.27)に『世の中には色々な事がある』という事を再確認した。)

 

友人たちと再会して改めて僕が解った事は、『誰にでも、公平に色々な事が起こる』という事である。

 

どれだけの『能力』を求められるのか…それでも尚…

 

『過去進行形』×『現在進行形』×『未来進行形』

(『過去進行形』『現在進行形』⋃『未来進行形』

表現を考えた時に、ハマる事がある。上記2つはその一例…

 

上記、緑の表現は、数学や柔道を通じて、また、形の演武を通じて辿り着いた境地の一部である。

確かに『無形』の物が在る。そして、自分が、その渦中にあるから、たまに、『恐怖』と『絶望』を感じる。

どういう『恐怖』と『絶望』かというと…

 

『継承されて来た物の、ある日突然の『終焉』…』

 

数学にしても、柔道にしても、あるいは、独自に人々の生活の中で育まれて来た『宗教』すらも…

 

少し、補足説明をすると、ここでいう、『宗教』とは『修験道(蔵王権現)』という信仰になる。

簡単に言うと以下のような、考え方になる。

 

『蔵王権現』=『釈迦如来(過去救済)』+『千手観音(現世救済)』+『弥勒菩薩(未来救済)』

 

もっとも、いつの時代も、都合よく利用され、都合が悪く成ったら、その物の断絶を推し進める。為政者達がして来た事である。今更、このような事を記すまでもない事なのかもしれないが。

 

上記青は、僕の行き過ぎた『癖』で、読んだ本の内容の一部になる。

参照参考:『修験道という生き方』著者:宮城泰年、田中利典、内山節、新潮選書(2019)

 

「都合よく利用するのは、為政者達だけではないか… 」

僕のため息に、『ニヒルな笑み』が得意技の友人が

「都合よく利用し、都合が悪く成ったら…今更の話じゃあるまいし…」

と僕に返す。いつものように、僕がムッとすると

「お前だって、都合よく利用しているんじゃないの?」

さらに言われて、余計に僕はムッとする。

「大変だね…お前も…」

そう言って、友人は笑う。友人が笑ったのは、僕の心を見透かしたからだ。

「(身体を鍛えて、心を磨いて、古典に通じ、語学堪能で、ピアノが弾け、書道の達人、法律は弁護士並みの知識で、医者並みの技術と知識を有し、こういう事をしているから物凄く嫌がらせも増えたからハッカー並みの知識と技術を取得して…)」

「ルパン三世を目指すか?それとも、杉下右京か?」

友人のツッコミに、にこりと笑う事も出来ずにいる。繰り返しになるけれど、

 

…往ける処まで往くしかない。時間が許す限り。

培われてしまった精神を満足させるだけの

『表現の自由を体現する事』

を目標にして。

 

takumaroは今日も往く!

(2019.12.27~2020.2.03)

 

(追記)

1、何の説得力も無いが、あくまでも、僕個人の近況報告です。あくまでも。

2、憲法に含まれる『表現の自由』は、僕の言う『表現の自由を体現する事』の一部でしかない。僕が言っているのは、もっと広大な世界に対してである

 

 

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