行った年(2018)、来た年(2019)

稽古(まえがき?あとがき?)

 

 

古の 教え受け継ぎ 今日も往く 澄んだ眼に 背中魅せつつ

 

(いにしえの おしえうけつぎ きょうもいく すんだまなこに せなかみせつつ)

 

 

古の 教え受け継ぎ 今日も往く 師匠の背中 道標にし

(いにしえの おしえうけつぎ きょうもいく ししょうのせなか みちしるべにし)

 

 

 

古の 教え受け継ぎ 今日も往く 語り継がれた 道を継ぐため

(いにしえの おしえうけつぎ きょうもいく かたりつがれた みちをつぐため)

 

 

 

何かと…似たような写真を用いるけれど…

 

元旦にドライブに出た。

完全に、課題が終わったわけでは無かったのだが、一通りの目途がやっと着いたから。

そのための息抜きで。

去年の9月ぐらいから、ずっとバタバタの連続だった。特に

12月は、途方もなく目が回った。

 

息抜きで、ドライブに出る。

この季節だから、外の空気は冷たく、そして、不思議と空気は澄んでいる。

だから、遠くの山まで良く見える。

 

この景色を観ている時に、僕は、何を考えていたのだろう…

ハッキリと僕自身で解った事は…

記憶は遺さなければ、残る事はないのだろう。記録として。

この絶望感は何か?

 

描いて余人に伝わるのだろうか…

写真にしても…

映像にしても…

文章にしたとしても…

 

「安いカメラを使っているからだ!」

「では、高いカメラなら、遺す事が出来るのか?」

さて、真実とやらは、何処にあるのか

 この写真を撮影した数時間前に、やっと課題レポート全部で6編の目途が着いた。提出期限が在るから、いつまでも、引っ張る事も出来ない。課題レポートは、2019年1月3日付けで提出をした。1月4日には、届くのだろう。というか…今、これを描いているのは1月5日だから、もう、手違いがなければ、無事に届いているはずだ。この記事は1月5日から、描き出して、いつ頃に、僕が納得して、あなたの目に触れる場所に現れるのか…

 

僕の

「拘り過ぎ!」

なのか…単なる、僕が

「阿保!」

なのか…まあ、いずれも正解のような気がする。課題レポートに関して言うならば、提出期限が在るから、其処に合わせるしかない。期限を過ぎたら、大抵の場合は、其処でアウトだから。昔、偉そうに子供達を前にして、

「時間は限られているんだ!」

などと、再三にわたり怒鳴り続けていたが、誰よりも1番!僕は期限を守っていないような気もする。

 

そう…ついつい忘れがちになる。そして、目を背けたくもなる。だけども、現実を受け入れる事も必要か…

『(殆どの物事に…)期限が在る』

という現実を。

指導者養成講習会、そしてレポート提出…

 

期日がある。あるいは、決まった日がある。というのが、普通の事なのだとは、理解はしている。

しかし、上の写真にもあるが、

現在、僕は、柔道の『公認柔道指導者C指導員』の資格を持っている。時代の要請もあるのだろう。今は、色々な基準が甘くなった。一昔前は、『公認柔道指導者C指導員』の資格は参段以上でなければ、取得できなかった。同様に、審判資格も参段以上でなければ、審判をする資格も獲られなかった。今は、審判については、初段以上で、審判講習会を受ければ審判資格は獲られる。僕も審判講習会は早い段階で受けてはいた。

でも僕は、参段昇段の内定がでるまで、県の昇段審査会における審判をやらなかった。

道に対する敬意と、僕自身の意地といった処か…傍から見れば、先に述べた通りの

「拘り過ぎ!」

そして

「阿保!」

以外の何者でもないのだが。加えて指導者資格に関しては

今は、弐段以上であれば(加えて20歳以上で)、『公認柔道指導者C指導員』の資格を取得する事が可能となった。講習会を受けて、筆記試験に合格し、課題レポートについても合格をすれば、資格が獲られる。

「もしかしたら、指導者ライセンスの取得は、昔よりも難しくなったのか?」

2013年から、公認柔道指導者資格制度が始まっている。2014年(平成26年)の8月に弐段への昇段が内定し、昇段をして、証書が届いて直ぐ位の時に

「指導者資格(『公認柔道指導者C指導員』の資格のこと)取りに行きなよ!」

と道場の先生達(師匠達)に言われ、それで講習を受けに行った。講習会を受けて、筆記試験に合格し(合格したようだった)、課題レポートについても合格をしたようだったので資格が獲られた。当時の記憶だが、2日連続の朝9時頃から晩18時頃までの2日間連続の講習で2日目のラストに(ラストだったと思ったが)筆記試験がある。日程も込めて、僕が朝の配達をしている事もあるのだが、本当にキツカッタ。事実上の2日連続の徹夜は身体に来た。そういう、キツイ記憶が薄まった訳ではないのだが、今度は、さらに一つ上の『公認柔道指導者B指導員』の資格を取りに行った。

 

 この、『公認柔道指導者B指導員』の講習会は3日間あり、最終日の3日目には、やはりC指導員の時と同じように筆記試験がある。2018年の11月25日、12月2日、12月16日のそれぞれの日曜日に講習会が行われた。

「(これは、埼玉県の場合の話になる。他県の場合は、僕は知らない。)」

以前と比べれば(日程が連続ではなかったという点で)、物凄く、僕の身体には、楽な日程だった。

「でも…結局、質の高い指導者へ(C指導員からB指導員に成るわけだから)の講習会だったから、身体への負担は、以前よりもキツカッタのかも…」

実際に、もう提出は済んでいるのだが、課題レポート作成には本当に涙が零れそうに幾度もなった。

『どの程度の、どれだけの内容の記事(レポート)の提出を求められているのか…』

描いていて、本当に底無しに感じたし、でも、期限が在るから、

何処かで見切りを付けるしかなかったし実際に見切りを付けた。当然、描いた僕自身が納得出来た部分もあれば、

何かが足りない部分もある。少なくとも完璧ではない。足りないものは、この先で補うしかない。勿論、この先があれば…

の話なのだが。

「(ああ…よく考えると、これは、僕が『何か』を『描く』時に、いつも感じている事か…)」

 

お世話になっている一緒に形の稽古をしている先生(師匠)の1人がさりげなく言った一言が胸に突き刺さる。

しかも、その先生(師匠)はニコニコ笑いながら僕に言った。

 …

「そうか…参段に昇段をして、正式にクラブの指導員に迎えられたのか…」

僕は、僕の事を良く解っている。だから、このような事は起きないと思っていたのだが…

「そうなんです…この性格なので、そういう話は、僕には無いと思っていたのですが…」

その先生は大笑いをしていた。笑いが収まってから

「観ている人は、ちゃんと観ているって!!!」

間髪入れずに

「(気になって、『間髪』を辞書で調べる。が、『間髪』が辞書に載っていなかった…こういう事をしているから確かに時間が掛かる…)」

「本当ですか?」

しかも、憮然とした顔まで見せてしまった。僕の顔を見て、その先生はさらに大笑いをした。そして…

「でも…これから、もっと『大変』になるよな…」

「『大変』?」

「人に教えて、自身も稽古を積んで、勉強をして…」

「…」

「大会の役員なんかもして…実際に賞状作成や、審判をしたりしているでしょ?」

「…」

「『大変』だよな…しかも、あの子達も何とかしなくちゃいけない!」

そう言って、その先生は、僕の2人の愛弟子達の方を見た。

 

 僕の事を指導者(指導員)として迎えたクラブでは、その年の最初のクラブの稽古始めで、子供達が何らかの

『形の演武』

をする事が伝統になっている。1年前、結局、形の演武が出来る子供を育てるまでには辿り着かなかった。僕の地位も

クラブの中では、極めて曖昧な状況でもあった。1年前の稽古始めで、いつものように稽古に参加するつもりで、道場に来たら、クラブの事務局長が僕に話を掛けて来た。

「O副会長(この時は、まだ副会長。後に会長になる。)から聞いた?」

「はあ?…『何』をです?」

「まだ、聞いていないみたいだね…」

其処に、そのO副会長がやって来た。事務局長が

「(O副会長、早く、伝達して下さい。)」

と言わんばかりの目の合図をO副会長に送る。そして、その

クラブのO副会長が、事務局長からの目の合図を受けて、僕に言った。

「今年から、正式に指導者をやってもらうから!」

僕にとっては、突然の出来事である。「てんどん」ではないが、ほぼ先程と同じようなイントネーションで

「はあ!?(少し微妙に違うか…)

と間抜けな返事をしてしまう。僕にとっては、想定外の事だからである。しかも、この想定外の出来事に

すかさず事務局長から、ツッコミと釘を刺されてしまった。

「『はあ!?』じゃないでしょ!其処は、『かしこまりました!』でしょ!まあ…とにかく、『そういう事』なので、

今後、宜しくお願い致します。」

「…」

何となく、状況の理解が出来掛かったところで、早速、僕の最初の仕事がやって来た。事務局長が言った。

「演武をする事は、事前に決まっていたけれど、そういう意味でも今日のY先生とする形の演武は、子供達に魅せる意味でも大事な仕事だからね。宜しく頼むね!」

読者のために言うと、このY先生が、先の会話で出て来た『その先生(師匠)』になる。この時の僕は、

今まで通りの形の演武をするつもりでいたのだが、改めて『何か』が乗っかって来たのを肌で感じた。だから、すかさず、

「そうやって、ハードルを上げないで下さい。」

と本音をぶちまけた。すると、やはり、事務局長すかさず、

「何を言っているの!自覚が足りないよ!少しは『時代の中間管理職』として自覚して下さい。」

「…(へえ~)」

事務局長は、本当に頭の良い人だと常々思っていたが、この発言には本当に感心するだけだった。否、

『感服の至り!』

と言った方が良いのか。

(注:読者は気付いていると思う。僕がここで、また辞書で『感心』とか『感服』を調べていた事を。だから、また時間が掛かる。)

事務局長は、短い言葉で、的確に、意義を、そして、観える景色を、僕に提示した。

『時代の中間管理職』

本当に巧い言葉だよなと改めて思う。僕が、正式に指導者になった事に依り、この事務局長とも、大小様々な記憶を作り出した1年でもあった。この事務局長は、僕にとっては、『師匠』というより、『上司』という存在になる。どういう事か

『子供でもない…大人でもない…存在に、社会性を身に付けさせる』

事務局長と僕のお話は、また別の機会にしよう。

 

僕は、2人の愛弟子達を見ながら、半年前の事を回想していた。其処へ

その先生(師匠)(Y先生のこと)はニコニコ笑いながら僕に言った。

「でも…そういうものだから。誰もが通る道!」

僕は、その先生(師匠)に最大限の苦笑いを見せた。この時には、本当に良くその意味も解った。

これが、事務局長が言った言葉を用いて表現するのなら

『『時代の中間管理職』としての責任』

というやつなのだろう。

 

形の稽古、そして『時代の中間管理職』として…

 

 クラブの伝統で、毎年の稽古始めで、少年部の代表者が形の演武をする事になっている。そして、今度は、僕は正式に

クラブ指導者として、しかも少年部の担当になった。

「誰か…」

少年部の代表者という事で、形の演武をする少年の1人は直ぐに決められた。それは、(小学校の)最高学年の子が1人しかいないから。というクラブの事情による。あと1人は…

「誰か…」

その時に、僕の目の前を、チョコチョコといつも一緒に稽古をしている仲間たちと走り回っている1人の子に目が留まった。

「そうか…あの子がいたか…」

ここで言う『あの子』とは、最初に決まった形の演武をする最高学年の子の弟になる。

「形の演武だから…兄弟の方が…アドバンテージも生まれる…」

この数年間、実際に自身が形の稽古を積んできて、また、様々な人達の形の演武を見て来て肌で感じた事である。その弟の方を手招きして僕は呼び寄せた。

「お兄ちゃんと一緒に『形』の稽古をやってみるか?」

「う~ん~…」

と言いながら、その子は首をかしげた。まあ、当然の反応だろう。

『『何』をやるのか…『何者』になるのか解らないから…』

形の稽古をするという事は、勿論、それだけの時間を取られる事になる。幸い、お兄ちゃんの方(H兄)が形の演武をする事も決定している。子供達の送り迎えをしていて、子供達の稽古も見守っているHママに声を掛ける。

「Hママ…ちょっと良いですか~?」

「はい!?」

状況と考えている事を一気に喋る。

「今年度は、毎年初めの『稽古始め』で、形の演武を僕とY先生とで演武しましたけれど、本当は、あそこで、子供達が演武するのが伝統なんです。人を育てる事が出来ずに、また、演武出来る子も居なかったので、僕とY先生とで代わりの演武をしました。もう、1年後の話なのですが、お兄ちゃんは、立場上、今年度は最高学年なので演武をすべきであり、後は、その演武を一緒にする相方なのですが…弟の方も、この際、H兄弟で、来年の稽古始めで形の演武をする。という事で宜しいですか?…Hママ」

この申し出は、Hママにとっては都合が良かったのだろう。というのは、結局、お兄ちゃんの方だけが、形の稽古という、学校で言う、特別追加補習を受けるより、兄弟で、その特別追加補習を受けられるのなら、それに越したことはない。子供達の送り迎えの事もある。まあ勿論、学校の特別追加補習ではないのだが。

「まあ…僕の経験から感じている事で、兄弟の方が形の演武に才が在るという事もあるのですが…」

「いや、そうしていただけるのなら、家としては特になんの問題もありません。むしろ、嬉しいぐらいです。」

「ありがとうございます。」

確認をした処で、隣で、やり取りを聴いていた弟の方に申し渡しをした。

「そういう事なので、次回から兄弟で『形の稽古』を始めて行くから!」

「うん…」

こうして、僕と、その兄弟(愛弟子達)との形の稽古が始まった。

 

 形の稽古が始まった。のだが…細かな処で、演武者が超えて行かなければならない壁がある。

柔道の沢山ある形の一つの投の形は、ほとんどの柔道をしている誰もが、通る道だ。そして、また、投の形の稽古を通じて

柔道の沢山の事を学ぶ事が出来る。公認柔道指導者B指導員のテキストにも書いてはある(p110)。

礼法、受け身、演武する2人の呼吸、間合い、技のタイミング、取り(技を仕掛ける側)の動作、

受(技を受ける側)の動作、等々…そして、これらの総体として出現する演武そのもの。…

『形の演武をする事に依って総体として出現するのが、『自他共栄』の一部』

ああ…これは、僕が確かに身体で感じ取った体験知になる。このような体験知は、テキストを読んだだけでは獲られない。

運が良ければ、何らかの手立てには成っているのかもしれないが。

 

どさくさに紛れて、個人的な『業』を授けようとしているのか…

そういう危惧を感じなくもない。矛盾をしているようだが、何処かで僕は、様々な物、事と距離を置くようにはしている。

『行き過ぎた精神(心は、あるいは、…は)は、荒涼とした景色を永遠に観続ける事になる。』

ああ…これも、僕が確かに身体で感じ取った体験知になる。例えば…

 

 sin π/4 =1/√2

これが、Hilbertの12問題の始まり…

と言った処で解る人はいない。

 

ああ…数学の話は止めておこう。

 

とにもかくにも僕と、その兄弟(愛弟子達)との形の稽古が始まった。そして早速、

兄弟としての才を見せつけられた。彼らの形の演武最初の礼法の部分で僕が感じた事である。

「(そこまで、いきなり揃える事が出来るんだ…)」

彼ら兄弟は、本当に息がピッタリだった。残念ながら、才というのはあるのだと思う。掛かる人は何年も掛かる。そして、

出来る人は、いきなり出来てしまったりもする。幸いなのは、努力でこれらの差違はカバーは出来るのだが…

勿論、しっかりと、当たり前のように壁が立ちはだかる。この兄弟にとっての壁は、『受け身』から始まった。

でも、実は、技術として『受け身』が一番大事で、そして、一番難しかったりもする。

投の形の最初の技は浮落(うきおとし)という技になる。これを(技の演武を)、音で表現すると…

「すっ すっ すっー … ドン!」

となる。「すっ すっ すっー」は、すり足と最後に技の動作に依る足と畳で擦れる音。

「ドン!」は投げられる側の受け身の音。となる。もっと正確に記すなら、受けと、取りのすり足のそれぞれの音が、

コンマ何秒かの違いで入るので、

すっ(スッ) すっ(スッ) すっー(スッー) … ドン!

となる。だが、コンマ何秒かの違いだから、音の聞こえ方は

「すっ すっ すっー … ドン!」

となる。つまり、上手でない演武だと

すっ スッ すっ スッ すっー スッー … パタ パタ!

となる。この最後の「パタ パタ!」は、受け身の音になる。受け身の音が2回するのは、上手でない証拠になる。

兄弟であるが故に、息はピッタリだったのだが、彼らの最初の技、浮落(うきおとし)の演武の音はこうだった。

「すっ すっ すっー … パタ パタ!

この音を、聞いたときに直ぐに時間の計算をした。そして、1っか月後から2か月後とその答えを出した。

時間がもたらす影響は、若いときほど大きい。

『誰もが、生まれた瞬間は(可能性は)無限大∞である。』

だが、現実には、微妙な差異が生じたりもする。そして、出来る者と、出来ない者の差として表れたりもする。

僕の立場として、何が何でも彼らを出来る者へと導かなければいけない。少なくとも出来るようにしないといけない。

計算上、解ってはいても、実際に、計算上の時間の範囲内で(1っか月半位だった)彼ら、兄弟がその演武で

「すっ すっ すっー … ドン!」

と音を出した時は、本当に嬉しかったし、同時にホッとしたりもした。

「ちょっとづつ、ちょっとづつ出来るように成って来て、ついに出来るようになったな!この調子で行くぞ!!」

ニコニコしながら、更に彼ら兄弟に檄を飛ばした。彼らも、出来るように成って来たという実感があるのだろう。

彼らも、ニコニコしながら、形の演武ように返事をした。

「はい!(ハイ!)」

色々の事の確認をしたかった。僕の責任、彼らの責任、そして、彼らの才能…

「君達は、もう1年はないけれど、来年の稽古始めで、形の演武をする事が決まっている。その時、形の演武をやり切る事。それが、君達の責任。そして、先生の責任は、その形の演武を出来るように君達を導く事。それぞれに責任があるから。」

ニコニコしながら、彼らに、そして、自分自身に言い聞かせていた。

彼らも、ニコニコしながら、再び形の演武ように返事をした。

「はい!(ハイ!)」

 

時間、期限、記憶、そして、記録

 

人は、生きて来た時間に応じて、時間という物を感じるのだろうか?

子供の時間の感じ方…大人の時間の感じ方…

成長して往くと言えば、聴こえは良いが、残念ながら期限という物は、ありとあらゆる処に存在する。いつまでも、

子供でいるわけにもいかない。大人にならないわけにもいかない。

ああ…僕は、子供でもないが、大人でもない…そういう不思議な存在。僕が、わざわざこう描いたのは、あいつが僕にツッコミを入れたから。あいつは、笑いながらいつも僕にキツイ、ツッコミを入れて来る。

でも、それは、他人への手助けにもなる。

 

子供でも、大人でもない僕は、どのような場所から彼らを観ていたのだろう…

 

『行き過ぎた精神(心は、あるいは、…は)は、荒涼とした景色を永遠に観続ける事になる。』

どさくさに紛れて、個人的な『業』を授けようとしているのか…

そういう危惧を感じなくもない。矛盾をしているようだが、僕は何処かで、様々な物、事と距離を置くようにはしている。

荒涼とした景色を永遠に観続ける事は残酷な事だ。しかし、一方で

『だが、進める者は、この更に先へと進む。』

彼ら兄弟の形の稽古は、順調すぎるぐらい順調だった。いや、想定内は最初の内だけだった。彼らの成長は、そのスピードには本当に驚かされた。彼らは、確かにこうして、クラブの仕来たりだから伝統だからという名目で形の稽古を始めた。だが、

それだけで良いのか?

彼らにとって、形の稽古を積んだという記憶は遺るだろう。では、形の稽古を積んだという記録は…

記憶に留めるのか、それとも、進んで記録に遺すのか…

 

手立ては在った。しかし…それは…

『行き過ぎた精神』

の入り口でもあった。あいつは、隣でニコニコ笑っていたが、僕は言葉を慎重に選んで、ある日の形の稽古が終わった後に

彼ら兄弟に話をした。

「お前たちは、本当に凄いような…人が何年も掛かる処を数か月で駆け上がって来る…」

兄弟は嬉しそうに笑った。

「こうして、稽古を積めば、稽古をしたという記憶は遺る。だが、先生は一歩進んで、記録にもしたい…」

「!?」

「『形の演武を、来年の稽古始めでする。』これが、君達の責任だ。だが…さらに上を目指す。」

僕は、少しの間をあけた。兄弟は僕の言葉を待った。

「先生が、去年出場し、今年も出場する予定の形の演武大会に、少年の部で、お前たちも出場する。優秀賞を狙いに行く。」

それぞれが、沈黙をした。行き過ぎた発言だとも思った。彼ら兄弟も、僕の

『行き過ぎた精神』

の片鱗を感じ取ったのかもしれない。僕は、言い直しをした。彼らにも選択する権利はある。

「…これらは、僕が感じていること。僕が考えている事だ。実際の形の演武は、お前たちがするしかない。その形の演武大会に出場するのか、どうするのかも君達が決める事だ…」

恐る恐る兄弟の兄の方が僕に質問をして来た。

「先生、…『優秀賞』ってどういう事ですか?」

僕は、大人でもない、子供でもない。時に、対等に子供と接しているときがある。だが、当たり前の話だが、時に

子供に合わせる必要もある。

「…そうだような…スマン!スマン!!「優秀賞」、つまり、その大会で『優勝』するという事だ。あるいは、第1位になるという事。と思ってもらえばいい。」

僕が、感じている事、考えている事、そして、『優秀賞』という言葉の意味が解った時、彼ら兄弟は、進んで

『行き過ぎた精神』

の世界に突っ込んで来た。兄の方が応えた。

「先生!出たいです!!」

僕は、弟の方を見た。弟の方が、より

『行き過ぎた精神』

を感じていたのかもしれない。不安を感じていたのかもしれない。それでも、弟の方も少しの間の後に

「(うん!)」

と僕に頷いて見せた。これら、一連のそれぞれの発言と動作を受けて、僕は、改めて、この兄弟に確認をした。

「先生は、去年のその形の演武大会の優秀賞者だ。その形の演武大会に出現するだけではない。其処で優秀賞を取るという事は、それだけの稽古を積むという事になる…」

兄の方がより大きい声で応えた。

「出ます!!!」

再び、少しの間を開けた。それぞれが、それぞれの形で興奮しているのも解った。落ち着いた処で、僕は言った。

「来週から、(形の)稽古のスタイルを変えるから。記憶だけでなく、記録に遺すスタイルに変更するから。」

そして、改めて僕の『行き過ぎた精神』が宣言をした。

「これからは、そのつもりで、お前達の稽古をするから。」

彼らも、ニコニコしながら、彼らのいつもの形の演武ように返事をした。

「はい!(ハイ!)」

 

この瞬間は、僕が、彼らに、僕の業を授けてしまった瞬間なのだろうか…

この瞬間は、

『行き過ぎた精神(の世界)』

へと、僕が彼らを引き吊り込んだ瞬間なのか…

この瞬間に、新たな師弟関係が生まれた。それは、間違いない。

 

この後、愛弟子達(その兄弟)は、更なる成長を遂げた。

 

形の演武大会当日、演武の直前ギリギリまで

『教え』

の確認をした。気持ち(心)を作らせ、演武に臨ませた。僕は、愛弟子達の演武を最前列で見届けた。実際に、演武者に

一番近い位置で見届けた。恐らくは『(形の)審判員』よりも近い位置だったのかもしれない。愛弟子達の演武が終了し

「(あいつら、やり切ったよな…)」

ただ、その事だけを僕は強く感じた。演武が終わったので愛弟子達も僕の処に駆け寄って来た。僕は、言った。愛弟子達との確認でもあった。

「…やりきったよな…」

この1年間の積み重ねてきた稽古に対する感慨もこの言葉に込めた。愛弟子達も同じように感慨を込めて

「はい!(ハイ!)」

と返事し応えた。天然なのか、不思議と何かに導かれたのか、僕は、この次にこう応えた。

「後は、『天命』を待て!それから、今から立場は同じだから。今度は、先生の演武を見届けなさい。」

この後の彼らの所作を観て、本当にただただ、驚くだけだった。僕が、これから演武をする事に対する気遣いでもあった。

今度は、彼らは返事はせずに、黙礼をし、そして素早く僕の視界から消えた。

「(本当に、凄いよな…)」

離れて行く愛弟子達の気配を感じながら、僕が思った事である。

 

『彼らにとって、形の稽古を積んだという記憶は遺るだろう。では、形の稽古を積んだという記録は…

記憶に留めるのか、それとも、進んで記録に遺すのか…』

彼らだけではない。誰もが、断片的な大小様々なそして無数の記憶を手にはしている。しかし、その大半は忘却の彼方だ。

僕も例外ではない。ただ、僕の場合は、

自身が断片的な大小様々なそして無数の記憶を手にし、それらが、『忘却の彼方』という奈落の底に落ちて行くのを、他の人よりも強く感じるのだろう…だから、断片的なその記憶を繋ぎ合わせて、なんとか、記録に遺すという事を

『描く』

という営みの中で続けている。

 

僕は僕で『描く』のだが、記録に遺るときは、ちゃんと記録に遺る。つまり、

『彼らが、形の稽古を積んだという記憶は、公式の記録として遺った。』

のである。これはこれで、僕は本当にホッとした。ただ、一方では、『描く』という営みも必要なのだろう。何故なら

『天命』

と描いたところで、人には伝わらない。僕には、僕の記憶があるから『天命』と描いて置けば、

後で、改めて描く事が出来る。

 

まあ…不思議な事は、僕の場合には、よくあることなのか?

読者は思っているのだろう。

「天命!?」

まあ…何が遇ったのかは、別の機会に描く事にしよう。

 

「出し惜しみするんじゃないよ~」

という声も聞こえて来そうなのだが

 

断片的なその記憶を繋ぎ合わせて…

 

彼ら兄弟に、僕が感じ、そして、言葉にして言った事である。

「お前たちは、本当に凄いような…人が何年も掛かる処を数か月で駆け上がって来る…」

そもそも、時間の感じ方というのは、もしかしたら、その人に依るのだろう…

 

この1年間(という時間の中の)の去来する記憶を元に、何かを記録に遺す事が出来るか?

 

断片的なその記憶を繋ぎ合わせて、なんとか、記録に遺すという事を

『描く』

という営みの中で僕は続けている。

 

『行き過ぎた精神』

『時代の中間管理職』

『『時代の中間管理職』としての責任』

『天命』

 

大人でもない、子供でもない、僕の立場から

『観える景色』

を、こうして

『描く』

という事で遺す事を続けている。特殊な立場だからか…いや、もしかしたら誰もがある時に感じる事なのか…

 

今回のお話では、僕の前を歩いている2人の師匠が出て来た。正確には、1人の師匠と1人の上司だろうか。

「ああ…この方は、僕にとって1人の上司と言った方が良いのだと思う。しかし巧い言葉だと思う。『時代の中間管理職』…」

実際に、この1年間、クラブの指導者として正式に迎えられ、本当に肌で

『『時代の中間管理職』としての責任』

を感じ続けて来た。僕の立場、前を歩いている人、中間管理職…そう…僕の後から歩いて来る人達もいる。愛弟子達のように。

確かに、総体として出現している『道』を僕は観続けている。

 

あなたに、この『道』が伝わっている?

(伝わっていないのなら、それも仕方がない。僕自身、此処に完璧な物を描いたとも感じていない。)

この世界の一つのルールか…

『期限が在る!(僕は忘れがちだが…)』

繰り返しになるが…以下は、僕の『描く』理由の一つか。

誰もが、断片的な大小様々なそして無数の記憶を手にはしている。しかし、その大半は忘却の彼方だ。

僕も例外ではない。ただ、僕の場合は、

自身が断片的な大小様々なそして無数の記憶を手にし、それらが、『忘却の彼方』という奈落の底に落ちて行くのを、他の人よりも強く感じるのだろう…だから、断片的なその記憶を繋ぎ合わせて、なんとか、記録に遺すという事を

『描く』

という営みの中で続けている。

断片的な幾つかのその記憶を繋ぎ合わせて出来上がった、継ぎ接ぎだらけの作品…

細部に拘るのは、いずれ、然るべき場所でする事にする。

「実は、細部に拘ると…時間も掛かるし…身体の負荷が大きいのもある。」

 

これからも、断片的な幾つかのその記憶を繋ぎ合わせ、そして、言葉を紡いで、『描く』という営みの中で、

此処に『物語』を遺して往こう。(あなたに、この『物語』が今回のお話が伝わっているのなら、それが僕の幸いになる。)

 

takumaroは今年も往く!

そして、いつものように

takumaroは今日も往く!

 

2019年1月1日、ある場所から観ていた白昼夢を此処に。

 

記憶を繋ぎ合わせて、言葉を紡いで、今回の『お話』を短く纏めて…(残句)

 

 

古の 教え受け継ぎ 今日も往く 澄んだ眼に 背中魅せつつ

 

(いにしえの おしえうけつぎ きょうもいく すんだまなこに せなかみせつつ)

 

 

古の 教え受け継ぎ 今日も往く 師匠の背中 道標にし

(いにしえの おしえうけつぎ きょうもいく ししょうのせなか みちしるべにし)

 

 

 

古の 教え受け継ぎ 今日も往く 語り継がれた 道を継ぐため

(いにしえの おしえうけつぎ きょうもいく かたりつがれた みちをつぐため)

 

 

 

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