新しい、活動拠点をここに獲て、ようやく、こうして『何か』をブログとして描く。
活動拠点は、未だに工事中の感もぬぐえないが、でも少しは『情報』は発信したい。
先ずは、何故、場所を変えてなのか?
誰もが、『自由』を保持し、『表現』するという権利を保持している。この『表現』されたもの
つまり、『思想または感情を創作的に表現したもの』を著作物と呼び、その創作した人の事を著作者と呼ぶ。
著作物が出来た段階で、その著作者に一定の権利が派生して、その権利を著作権と呼ぶ。
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僕は、数学の研究活動もしているので、『何か』を創作する事の苦しみは、何度も経験をしている。
僕の場合は、確かに創作することは好きなことだ。けれども、簡単に創作が出来るわけではない。
場合によっては、数年、人によっては数十年の歳月を経て、ようやくその作品が完成するものだ。
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例えば、僕の書いた数学のある論文は、本質的なアイディアから、それが正式な査読付きの論文雑誌に掲載されるまでに
10年の歳月を要した。もっとも、10年の歳月の間に、論文の中身(コンテンツの)深化と進化はそれなりに
獲られたけれども
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それから、このホームページの『takumaroの活動』の中に書と詩で、
『一枚往生録』
を紹介したが、前半の2句が出来るまでに、1年…さらに、後半の2句が出来るまでに、1年…
都合2年の歳月を費やした。実際に書では、2枚は失敗し、3枚目でようやく書き上げた。この3枚を書くのに
3時間を費やした。さらに、その中身(内容)には僕自身が抱えている『何か』が含まれている。
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こういった創作活動という過程を無視して、出来上がった創作物、つまり著作物とその権利、著作権を
平然と著作者から奪い去るシステムが存在する。しかも堂々と…
(ホームページの『ページ概要』の部分は、そういったシステムに対する徹底抗戦とも言える。そもそも当たり前の権利を
主張しているだけなのだけれど…)
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僕の人生の中では、初めての事ではないのだが、
本当に、組織や国が考えている事は…
『人々に 五枚舌にて 夢見させ 実る果実を 奪うハゲタカ』
今は、丁度、選挙の直前…僕が観ている景色は
『時季来れば 口が立つ立つ 五枚舌 事が済んだら 見せる本性』
もっとも、彼らと同じように大人になれれば、何の苦労も、苦しみもないのだろう。
けれども、僕は大人には成れない。そして、この個性…それらは、
『疑心獲て 暗鬼を宿し 観る世界 黒に染まれず 住処獲られず』
今は、取り敢えずの活動拠点を獲た。また、再び、こうして『表現』をして往こうと思う。
出来る事を続けて往く。それだけだ。
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